叱られて

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神経性頻尿になるわりには叱られて踊ったりして、いったいたろうって敏感なのか鈍感なのかわから〜ん!って思ってました。

ところが、「たろちゃん単細胞なんかじゃないよ。めいいっぱいいろんなこと感じてるじゃない」と言ってくれた友達がいて、私自身がたろうの繊細なところから目を背けようとしていたことに気がつきました。

先生に怒られても平気でいてほしい、お友達に仲間はずれにされても傷つかないでいてほしい(こないだ仲間はずれにさてて私は自分のことのように悲しかった)、できれば鈍感な人間であってほしい。

だって、その方が悲しまなくてすむでしょ。傷つかなくてすむでしょ。頻尿だけど、本当はけっこう鈍い人間で何も考えてないのよ、たろうのことをそう思いこもうとしていた自分に気がつきました。

本当はたろうってけっこう感じやすいのよね。やっぱり繊細な長男くんなのよね。

叱られて踊っちゃったのは平気だったからじゃない。そのときの自分のいやな気持ちをなんとか追い払おうとごまかそうとしたんじゃないのかな。叱られてる最中にへらへら笑ってよけい先生に叱られて。それは先生をなめてるんでも全然こたえてないんでもなくて、叱られたときのいやな気持ちから逃げたい、そんな思いでしたことなんじゃないかしら。

私自身はどうかというと、悲しいとか不安だとかいう気持ちに出会うと、すごくうろたえてしまいます。

これしきのことでブルーになっててどうする!情けないぞ!大丈夫、大丈夫って必死に自分を立て直そうとして、傷ついてる自分に気がつかないふりをして、悲しみや不安の気持ちを追い払うべく何かで気を紛らわすということをしょっちゅうやっているような気がします。

それってつまり、悲しみや不安の感情を、まぎれもなくそこにある感情を無視してるってことです。「悲しいときは悲しんだらいい。ただ、ああ、私悲しいんだなぁって思ったらいい」って教えてくれた友達がいました。

悲しみは無視し続けても癒えなくて、そんな風に悲しみをただじんわりと味わってみたら、ちゃんと私に相手してもらえて気が済んだかのように、じわじわと悲しみがおさまっていく、そんな体験をしました。

それで初めて、たろうにもそんな風にたろう言うところの「いやな気持ち」とつきあってほしいと思うようになりました。

鈍感なのが強い人間で、繊細なのが弱い人間、ではない。何も感じないから平気、より、感じやすくて、でもその感情を見つめて受け入れて自分で消化していく人間の方がずっと強くて豊かだと思う。

だから、たろうが傷ついたり、悲しい気持ちやいやな気持ちになることを、もうおそれないでいよう。強く優しくなれる機会をいっぱい与えられる感じやすいたろうを誇りに思って。弱さを認めるほどに人間は強くなっていくんだと信じて。
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by mizu-kusa | 2009-06-16 16:09 | 母は思った
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