さようならありがとう

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義母には二人の息子がありました。義兄と夫です。義兄が遺影を、夫が遺骨を抱いてお寺までの雪道を上りました。美しい光景でした。雪道を上るふたりの兄弟がなんだか義母の大きな愛に包まれているような、そんな感じがしたのであります。

その光景を見ながら、変な話、なんだか大晦日の雪の日に、こうして義母を見送ることが、ずいぶん前から決まっていたような、妙にしっくりとした感じがありました。

それだけではありません。晩年義母に介護が必要になったことも、夫が見舞いに行ったその日の午後に亡くなったことも、すべてが妙に納得できると言ったらおかしいかもしれないけれど、義母の意図とまでは言わないにしても、義母の思いやりがそういう形になったんじゃないかと、思ったのです。

義母が病に倒れたときは、理不尽さを感じずにはいられなかったけれど、もし義母が健康なままぽっくりこの世を去ったら、義父や夫たちは義母に何もしてやれなかったと、世話になりっぱなしだったと、悔やむ気持ちが残ったかもしれない。妻の、あるいは母の介護をやれるだけはやった。「何かしてやれることができた」と思えたこと。「本人は亡くなってラクになったのかもしれない」と遺されたものたちに思わせること。それが義母の愛だったのかもしれない、とそんな風に考えてみました。

お坊さんが「告別式とは別れを告げる場でもあるのですが、むしろありがとうと感謝を述べる場なのではないか」とおっしゃっていました。義母に感謝することはいくらでもあるのですが、何より、夫を生み育ててくれたこと、私の感謝はこれに尽きます。

おかあさん、ありがとう。
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by mizu-kusa | 2010-01-12 12:03 | 母は思った
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