母として妻として

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結婚前、夫と付き合っているころ、私は何者でもありませんでした。彼女としての役割なんて意識は無かったし(夫の誕生日を忘れたこともあるし、夫の部屋を掃除したこともないっていうか自分の部屋も?)。夫の前で私はただ一個人でありました。

結婚してからも、子供が出来るまでは、妻だからこうしなければならない、なんて縛りは自分にありませんでした。仕事もしていたし、生活費は夫と等分にそれぞれの給料から出していました。職場では仕事上の身分、立場というものがあったけれど、家庭ではやはり一個人でありました。

ところが、子供が出来てから、「母として」の自分を強く意識するようになり、そうすればするほど、「妻として」の自分も強く意識するようになりました。なぜなら、意識が子供にばかり集中して、夫のことは後回しになりがちだったからです。これじゃ「妻として」どうなんだ?あかんやろと思うようになったのです。

思えば、子供が出来るまでは自然にうまれていた夫への思いやりや優しさ、それにともなう行動が、子供が出来たとたんに「自然に」できなくなっていたんです。心が勝手に子供の方へ、子供の方へ行ってしまうんです。夫へは「意識的に」心を目を向けないと、手が回らないんです(夫は全然手のかかる人ではないし、むしろ私が助けてもらうくらい)。それが、夫に対する後ろめたさとなりました。

後ろめたい相手には気を遣います。後ろめたさは自信を奪います。

「妻として」充分でない私のことを夫はどう思っているのだろうか?夫が「母として」の自分に「妻として」の自分に不満を持っているのではないか?(夫は問いただしても私に対する不平不満を言いません。ほんとかよ〜という思いが拭えない。それも後ろめたさゆえ)

今回のイラストに描いたことも、私は携帯の充電を「母親としての責任」という観点で見ていたのに対し、夫は単純に方向音痴の私が困ったときに役に立つように、私の方から連絡がとれるようにしてくれていたのです。夫の単純な優しさを危うく「充電ぐらいちゃんとしときなさいよー母親でしょ」という責めにとってしまうところでした。

夫は私が思うほど「母として」「妻として」の私を意識していないし、はっきりいって求められてもいないのかもしれません。夫が見つめ、求めているのは、ただ一個人である私であって、結婚前から、もしかしたら変わっていないのかも。

そう思うと、夫が私に不満を言わないのは口にするほどの不満が無いからだわ、と素直にとってしまおう♪(え?正直に言うのが恐いからだって?ああ、ここ読んでなんておめでたいヤツ〜って思われるんだろうなぁ。)

そうだそうだ。もうやめよう。母も妻ももうやめよう。ひとりの人間として生きよう。

秋晴れの空の下、干した布団とりこみながらそう思ったら、自然に夫への温かい気持ちがよみがえってきました。妻らしく、でなく、人間らしく生きるなら、一番身近な人を大切にするのはきっと自然にできることだから。
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by mizu-kusa | 2008-10-04 22:56 | 母は思った
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