カテゴリ:母は思った( 69 )

ご自宅用の花束

f0041773_16441019.jpg

花は好きです。買い物のついでに花屋をのぞくのも好きです。でも、世話は苦手です。
子どもについても、同じかな。
[PR]
by mizu-kusa | 2013-03-14 16:53 | 母は思った

無邪気に

f0041773_15595627.jpg

子どもは無邪気である。
松田道雄の育児書に(ずいぶん昔の本だが)「今の日本の性教育は性器教育だ」と書いてあったのをふと思い出した。まだ先の話だが、たろうとまめには女の子を大事にすることを覚えてほしいと思う。
[PR]
by mizu-kusa | 2012-06-24 16:12 | 母は思った

叱るということ

f0041773_2154580.jpg

突然ですが、

理性的に「叱る」というのはとても難しい。「褒める」より難しい。感情的に怒ることは一番簡単。

だと思いませんか?

私が日常的にやってることは一番簡単な感情をぶちまける怒り方。ちょっとしたことや、できて当たり前と思うことは、たとえいいことでもいちいち褒めるのは、はっきりいって疲れます。意識的に褒めるようにしています。それが疲れるんです。

かつて幼稚園の先生が懇談で言ってました。「幼稚園では、落ちてたゴミを拾ってゴミ箱に入れただけで、すごーい!えらーい!って、褒めるんです」思わず私は「はは。。。仕事だったらできますけど」って言ってしまいました。

私の父が、たろうが小さいときに、ずいぶんきつく叱ったことがあるそうです。そのとき、これでもうおじいちゃんなんか嫌いや!って自分から離れていくだろう、と思ったそうです。実際、どうだったか。逆に、たろうは、おじいちゃんに余計になついてきたそうです。たろうを真剣に厳しく叱るたびに、たろうはおじいちゃんに親愛の情を見せるようになった、と、父は感じているのだそうです。

「叱るっちゅうのは真剣勝負やからねぇ」と、父は言いました。

真剣勝負の意味を考えてみる。。。
真剣勝負、、、してへんなぁ〜ほんまにしてへんなぁ〜。
子育てのことだけちゃいます。何においても、真剣勝負、してるかなぁ〜してへんなぁ〜。

あ、なんかここで立ち止まってしまったなぁ。いやぁ〜えらい中途半端な文章になってしもた。しかもいきなり大阪弁丸出しやん。真剣勝負って、捨て身ってこと?何かを賭けるってこと?捨てられないほどの、賭けて失うのが恐いほどの、何を自分は持っているのか?いやいや、えらいこっちゃ。

昨今の煮詰まり具合が如実に表れた中途半端な文章になってしまいました。煮詰まってるんです。(だからなんやねん!)
[PR]
by mizu-kusa | 2012-04-07 15:37 | 母は思った

チャンバラごっこ

f0041773_175012.jpg

最近おじいちゃんに三銃士を読んでもらっているたろうは、すっかり剣にハマってしまいました。剣は新聞紙やカレンダーを丸めた物で、2リットルペットボトルの飲み口部分をカットして、丸めた新聞紙を飲み口に差し込んで完成。

そして、私の方も、隙を突いて思い切りたろうを叩けたときの快感と、息が切れる疲労感とが心地よく(ランナーズハイならぬチャンバラーズハイ?)、すっかりチャンバラごっこにハマってしまいました。

本気でやると疲れて30分も持ちません。お互いに。体は疲れ、心はスッキリ。最近たろうとの衝突がなく家庭平和なのはチャンバラのおかげかもしれぬ。

思えば、昔はもっとたろうとマジ遊びいっぱいしてたのに、育児もマンネリ化してくると、子どもから逃げよう逃げようとばかりしていました。

本読みながら「お母ちゃん、見て見て!」の声に生返事。まめの泣き声に、駆けつけていくこともなく、「またかよっ」とため息。

こどもが一人遊びしている、または兄弟で盛り上がっている、あるいは寝ている、そういう隙に、ここぞとばかり自分の世界で本読んだり用事したり絵描いたりしようと必死になって、自分の世界が中断されるとイライラ。

だけど、子どもが小さい時期はわずかで、一緒に遊べるときは短い。そして、たろうが生まれたときから、自分にとって、育児以上にやりがいのある仕事はない、ということはもうはっきりと実感しているわけでして、初心忘るべからず。最近はこどもたちとのマジ遊びブームが戻ってきています。(しかしこのブームいつまで続くだろうか。。。)
[PR]
by mizu-kusa | 2011-09-22 15:44 | 母は思った

プール参観

f0041773_22345242.jpg

今日は朝から雨で、プール参観があるのかどうか、私が来れるかどうかがはっきりしなかったので、たろうは心配で浮かない顔で出掛けて行きました。

夏休みに、たろうがふし浮きができるというので、「ええ!すごいやん!いっぺん見てみたいわあーたろうのふし浮き」と、確かちょいと大げさに言いました。

でも、正直すずもいるし雨だし、参観は面倒くさいなぁという気持ちもありました。「行けないかも」というと泣きべそをかきながら「来てほしい」と言いました。

私はそんなに来てほしいなら行ってあげようと思いました。参観は誰のためのものか。もちろん親のため。なのに私は「行ってやろう」という気持ちでした。

ふし浮きをする前とした後に、ちゃんと私の方を見て、自由時間中ずっとふし浮きを繰り返すたろうを見て、おバカな母親は、やっと気付いたのであります。たろうは、私ににふし浮きを見てほしかったんじゃない。私にふし浮きを「見せてあげたかった」んだ、ということが。私を喜ばせたかったんだなあ。

参観は誰のためのものか。たろうの方がずっとよくわかってる。
[PR]
by mizu-kusa | 2011-09-05 23:05 | 母は思った

アスペルガー症候群

f0041773_22454859.jpg

たろうがアスペルガー症候群(軽度自閉症)なのではないかと、悩みだして5日ほど経ちました。

アスペルガー症候群というのは、知的障害のない自閉症で、一見、定型発達の人(普通の人、多数派の人)と区別がつかないけれども、実は脳に障害があって、他人の情緒を推し量ることが苦手で社会性に問題があるんだそうです。他にもこだわりが強いとか予定外のことや変更を嫌うとか、不器用であるとかいろいろ特徴があります。

歌が下手とか運動が苦手というのはわかるけど、恥ずかしながら私は「生まれつき」人を思いやるのが苦手な人がいるということを知りませんでした。

アスペルガーについて調べて行くうちに、私は自分が今までいかに世界や価値観が自分とは異なる人と関わらずに生きてきたか、なんと視野狭く生きて来たかということに気がついて、愕然としました。貧困な想像力、浅はかな思考。

夜になると、たろうはアスペルガーに違いないと悩み、自分が今までまったくたろうのことを理解せず、たろうがひとり私の想像もつかない世界でたくさんの不安を抱えていたのかと思うと、泣けて来ました。

私は、たろうの理解できない部分について、許容できるところは理解を深めようとせずにほったらかし、一方許容できないところについては、厳しく叱った。感情的に。時に手をあげて。理解できないことに対するいらだちと不安で「あんたはなんでそうなの?なんべんいったらわかるんや!」と怒りをぶつけてきました。

昼になると、確かにアスペルガーっぽいけれど、単に成長が遅い、年齢の割に幼いだけだと楽観できました。

そんな日々を送って、この記事も何度も書いては消し、書いては消し、していました。

やっと、出口が見えて来ました。私はこの5日間、アスペルガーの特徴と一致するたろうの過去の言動だけを抽出して振り返っては悩み、また、アスペルガーの特徴から想像される未来の困難(いじめられやすいとか、友達ができないとか)を心配していました。

つまり、私は、今、目の前にいるたろうを見ていたのではない。過去のたろうと、未来のたろう、それから、たろうではなくアスペルガー症候群というものにとらわれていたのです。

今のたろうを客観的に眺めてみて、今の時点で何か日常生活に支障をきたすほどの問題があるか?早急に解決しなければならないほどの問題があるか?答えはノーである。

心配性で不器用なたろうが、もう少し自信を持てるように、気長にサポートしていこう。

かなり落ち込んで悩んだ割に、なんだかずいぶん当たり前な答えになっちゃったなぁ。まぁ、悩みの出口なんていつもそんなものかもしれませんが。
[PR]
by mizu-kusa | 2011-07-25 18:09 | 母は思った

初めての懇談

f0041773_21565041.jpg

たろうは、とてもこだわりが強い。いや、強すぎる。思い込みも激しい。いや、激しすぎるかもしれない。

たろうのこだわりの強さ、融通のきかなさゆえに、たろうと私、あるいはたろうと夫との衝突が絶えない。

たとえば、いつものお絵かき鉛筆にこだわる。それがないと絵が描けない。他のではだめである。無くしたから、とりあえず他の鉛筆で描く、ということをしない。半ばパニックになり、大騒ぎして、悪態をつき、たろうの嵐は放っておいてもおさまらない。かなりうっとおしいので、私や夫や時にはまめが、見つかるまで探してやる。こちらも「ちゃんとしまっときいや!」「他のでかいたらええやん!」と悪態をつきつつ。。。

たとえば、2,3日前から土曜日は図書館に行くと自分の中で決めていた。土曜日、台風のため大雨。たろうも号泣、台風である。「絶対行きたい!行かなあかんねん!」大雨の中出かけようとする。家族みんなでたろうの嵐をなだめすかす。

一度パニックになってるときに、たまたま姉が来ていて、驚いていた。「こどもって、、、みんなこうなん?」カチンと来た。胸がざわついた。変な目でみないでよ!という気持ちだった。

「たろうは少し普通じゃないかも知れない」そういう不安がはっきりと形になった。普通ってなんだ?といわれれば、かなり個人的な感覚で、それは多分私の偏見によるものなのですが、たとえば、まめは、私の感覚からすれば普通です。

私は普通でないことを恐れていたのではなく、普通でないことを指摘されるのを恐れていました。学校生活が始まって、たろうが学校という場で受け入れてもらえないのではないか、と恐れてました。

でも、担任の先生は言ってくれました。「ど真ん中歩かなくたって、いいんです。脇道歩いていいんです。世間で成功してる人はみんな脇道歩いてきました。ビルゲイツだってそうですよ。そういう個性として、周りが受け入れるしかないですよ。ご両親も私も、クラスの子も」

学校は進んでるのかな。いい先生でよかった、と思いました。
[PR]
by mizu-kusa | 2011-07-16 11:42 | 母は思った

給食試食会

f0041773_10361566.jpg


最近の給食はバリエーションに富んでておいしくなっていますね。保存料、添加物も使わず、手作りで作られてます。給食に使われる食材も、地産地消の考えのもと地元のものを使うことが多いそうです。本当にありがたいことです。

でも、地産地消がいいといっても、どれだけ丁寧に作ってもらっても、食材が放射能に汚染されていたら、、、。東日本のことを思うと胸が痛みます。

「大丈夫よ。気にしすぎよ」っていうおばあちゃんやおじいちゃんと同居して、しんどい思いをしてるお母さんもいるかもしれない。神経質すぎるとか周りになんと言われようとも、不安なお母さんはお弁当を持たせたり、自分の納得のいくようにするべきだと思います。だって、他でもない、自分がお腹を痛めて産んだ、自分のこどもなんだもん。

国の基準がどうとか、国が責任を持つとか言われたって、そんなの関係ないですよね。国に責任なんてとれませんよ。病気になったらごめんなさいってお金をくれるだけで、被爆を未然に防ぐことはできない、できてないじゃないですか。

お母さんは、自分がこどもにとっていいと信じるやりかたでやるしかないです。それが間違いだったとしても、自分の判断なら、誰に文句を言われる筋合いもないと思います。どうか自信と希望を持って子育てして下さいますように。そして、周囲の人はこどもを大事に思うお母さんの気持ちに寄り添ってあげてほしいなぁと思います。
[PR]
by mizu-kusa | 2011-07-04 10:59 | 母は思った

上の子も下の子も

f0041773_22374526.jpg

ああ、多分に趣味的な「すーちゃんのトイレ」にかまけていたなぁと反省。やっぱりおむつなし育児なんて無理だよなぁ。世間では「下の子より上の子をかまえ」と言われているし。

しかし、もとい、と母は思った。
たろうの時もまめの時も布おむつにトライして挫折してきたわたくしですが、だからって紙おむつに納得しているわけではない。すーちゃんの放尿を目の当たりにして、胸のつかえが下りたというか、あのすっきり感こそ、私が求めていたものなのではないか?これから先、約24時間×365日×2年、紙おむつつけっぱなしってどーよー?たった一週間の生理中のナプキンでさえ、一日でも早く解放されたいと思うじゃないですか。
おしっこは、勢いよく外へ飛ばしてなんぼやないか!

いやいや、待て待て。私が言いたかったのはそうでなくってだな、そもそもおむつなし育児が素敵だと思ったのは、母が赤ん坊の尿意を察知できるほどに母子の絆が強まるというところであった。ああ、私もそのように赤ん坊の気持ちにより添いたいと思ったのです。

で、そう思ってすずを眺めるようになって、じゃあ下の子重視になったかというとそうではないのです。言葉がしゃべれない赤ちゃんの気持ちを察してやりたい、と思うようになり、それがまだ生まれて3年のまめ、6年のたろうについても、同じように気持ちを汲んでやりたいと思うようになりました。

3歳のまめは時々、ただわんわん泣いて泣いてしょうがないときがあります。

言葉でうまく説明できないから、自分でもわからないから、泣く。感情が溢れてどうしようもないから泣くのでせう。そんなとき、優しく抱っこして、まめの気持ちをわかってやりたい、とこちらが思えば、おとなしく抱っこされて涙はすぐにおさまっていくのです。

なのに、今までの私は、まめが泣いたら、まず心の中に「だーっ!またこのややこしいときに泣き出したよ」とか「なんでそれくらいで泣くねん」「眠いからやろ。はよねえや」などというマイナスの感情がわっと出てきたのです。

ちょっとはかわいそうだと思うけど、それよりうっとおしいと思う気持ちの方が強い。(鬼母?)「まめちゃんどうしたん?」なんて穏やかに言っても、基本そういう気持ちで接するからなかなか泣き止まなかったんじゃなかろうか。

なーんか当たり前のこと書いてるなぁ。育児6年目とはとても思えない。何なんでしょうこの情けなさ。でも、実際そうなんだからしょうがないなぁ。

泣いてぐずってるとき、子供らの気持ちにより添ってやりたい、と思って、子供らを見る。ただ、そういう風に心がけただけで、私も子供らも心落ち着いてゆく。なあんだ、そんなことか。と、思うようなことに、今更しみじみと思い至る秋の夜長でありました。
[PR]
by mizu-kusa | 2010-10-31 23:34 | 母は思った

おんぶの効用

f0041773_21231771.jpg

はじめてすーちゃんをおんぶしたとき、その温もりと重さが、そのまま心にずっしりとほの温かく沁みてきました。温もりはそのまま愛しさとして、重さは、今まですーちゃんを放っておいたことに対するすまなさとして。

二人目三人目は手がかからないというけれど、本当にそうなのかな?手をかけていない、手をかけられない状況があるだけで、泣くことも自己主張も一人目と同じくらいやってるんじゃないかしら。一人目の時は赤ん坊の泣き声に敏感だし、泣いてる赤ん坊を抱いたりあやしたりすること以上に優先すべきことがほとんどない状況だったから、よく抱っこもおんぶもしていました。

そして、どこでも誰にでも言われるのが「下の子より上の子をかまってやれ」という言葉。

すーちゃんなんか夕飯前の慌ただしい時間帯、泣いてるのにほったらかされてて、自分で指吸っていつの間にか寝てる。

だけど、それで手がかからないと思ってたなんて、下の子だから放っておかれるのは仕方がないと思ってたなんて。それって、自分の気持ちをラクにしたかっただけじゃないの?私にとって、すーちゃんでたぶん最後の赤ん坊なのに、ちょっと手抜き過ぎだったんじゃない?ごめんね、すーちゃん。

やる気はあるけど体がついてこない、というのがいつもの私のパターンなので、自分も歳だし、セーブしてるところがあった。すーよりたろうやまめをかまってやらなきゃ、という思いはもちろん強かった。特に、まめを、と思ってやってたけど、こないだたろうがぽつりと「すーちゃんになりたい」と漏らしたので、ああ、やっぱりたろうも我慢しているんだ、と思って、たろうとのスキンシップも増やすようにした。

ああ、やばいやばい。がんばりすぎてしまわないように、そう思いながら、抱っこやおんぶしてると全くぐずらないすーが、抱っこやおんぶを重ねるごとにまた愛おしさも増して、そして体はしんどいけどすーの泣き声を聞かないと心がささくれ立たないことも心地よく、、、ああ、だけど肩がこる、腰が痛い。。。

園庭開放につきあって一緒に遊んでやるとたろうやまめも嬉しそうで、また、私自身も秋の外遊びが気持ちよく、、、ああ、だけど帰宅すると軽いめまいを覚えるというこの体力の無さ。。。

だけどやっぱり子供らの温もりを、あっというまに大きくなってしまう、この幼き子らの肌の温もりを、しっかりと私の肌で覚えておきたい。子らが巣立った後も、いつでも鮮やかによみがえるくらいに、しっかりと。。。
[PR]
by mizu-kusa | 2010-10-22 22:13 | 母は思った