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上の子も下の子も

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ああ、多分に趣味的な「すーちゃんのトイレ」にかまけていたなぁと反省。やっぱりおむつなし育児なんて無理だよなぁ。世間では「下の子より上の子をかまえ」と言われているし。

しかし、もとい、と母は思った。
たろうの時もまめの時も布おむつにトライして挫折してきたわたくしですが、だからって紙おむつに納得しているわけではない。すーちゃんの放尿を目の当たりにして、胸のつかえが下りたというか、あのすっきり感こそ、私が求めていたものなのではないか?これから先、約24時間×365日×2年、紙おむつつけっぱなしってどーよー?たった一週間の生理中のナプキンでさえ、一日でも早く解放されたいと思うじゃないですか。
おしっこは、勢いよく外へ飛ばしてなんぼやないか!

いやいや、待て待て。私が言いたかったのはそうでなくってだな、そもそもおむつなし育児が素敵だと思ったのは、母が赤ん坊の尿意を察知できるほどに母子の絆が強まるというところであった。ああ、私もそのように赤ん坊の気持ちにより添いたいと思ったのです。

で、そう思ってすずを眺めるようになって、じゃあ下の子重視になったかというとそうではないのです。言葉がしゃべれない赤ちゃんの気持ちを察してやりたい、と思うようになり、それがまだ生まれて3年のまめ、6年のたろうについても、同じように気持ちを汲んでやりたいと思うようになりました。

3歳のまめは時々、ただわんわん泣いて泣いてしょうがないときがあります。

言葉でうまく説明できないから、自分でもわからないから、泣く。感情が溢れてどうしようもないから泣くのでせう。そんなとき、優しく抱っこして、まめの気持ちをわかってやりたい、とこちらが思えば、おとなしく抱っこされて涙はすぐにおさまっていくのです。

なのに、今までの私は、まめが泣いたら、まず心の中に「だーっ!またこのややこしいときに泣き出したよ」とか「なんでそれくらいで泣くねん」「眠いからやろ。はよねえや」などというマイナスの感情がわっと出てきたのです。

ちょっとはかわいそうだと思うけど、それよりうっとおしいと思う気持ちの方が強い。(鬼母?)「まめちゃんどうしたん?」なんて穏やかに言っても、基本そういう気持ちで接するからなかなか泣き止まなかったんじゃなかろうか。

なーんか当たり前のこと書いてるなぁ。育児6年目とはとても思えない。何なんでしょうこの情けなさ。でも、実際そうなんだからしょうがないなぁ。

泣いてぐずってるとき、子供らの気持ちにより添ってやりたい、と思って、子供らを見る。ただ、そういう風に心がけただけで、私も子供らも心落ち着いてゆく。なあんだ、そんなことか。と、思うようなことに、今更しみじみと思い至る秋の夜長でありました。
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by mizu-kusa | 2010-10-31 23:34 | 母は思った

おむつなし育児

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『赤ちゃんにおむつはいらない』(編者三砂ちづる 勁草書房)という本を読んでいます。
おむつなし育児(赤ちゃんの頃からおまるで排泄させ、おむつをなるべく使わない育児)には以前から興味がありました。でも、たろうもまめもすずも紙おむつ育ち。布おむつでさえ挫折している私には、夢のまた夢。

でも、本を読んでいると、大変というより、かなりおもしろそうなのです。これは、確かに経験者が語るようにはまるだろうなぁと思いました。

すずは寝起きにうんぎゃっと気持ち悪そうに少し泣くことがあります。いつもは、「もっと眠いのに目が覚めちゃって不快なんだろう」と思って、もうちょっと寝れるように抱っこしたりおっぱいあげたりしてました。それでまた寝たり、機嫌良くなったりするので、気にしてなかったけど、本を読んでいるうちに、ひょっとしておしっこがしたくて泣くのかな?と思ったのです。

それで、トイレでさせてみたら出た!というわけです。まず、しーこいこいの体勢で抱っこすると「にこっ」と嬉しそうに笑いました。そして、放尿後は「はふぅ〜」とかわいらしい声を出しました。

寝起きのうんぎゃっが排尿前のサインかどうかはわかりません。でも、なんだかすずの気持ちがわかったようで、とても嬉しかったです。この本を読んで私が思うおむつなし育児の最大の魅力は、言葉をしゃべれない赤ちゃんの排泄のタイミングを母親が察知できるようになるということ。赤ちゃんとの非言語コミニュケーションがうまく成立し、育児に自信が持てて、育児がラクに楽しくなるということです。

以前、インドネシアを知る友人から、おむつなし育児のかの国のお母さんは布をスリングのように使って赤ちゃんを腰骨に載せて抱っこし、赤ちゃんがおしっこするときはぱっと自分の腰から離してしゃーっと地面にさせるという話を聞いたことがあります。そのときは友人と「どうして赤ちゃんがおしっこするのがわかるんだろうねー。すごいなぁ」と言っていました。

赤ちゃんがなぜ泣いているのか、眠いのか、おっぱいか、おしっこか、うんんちか、判断できますか?私はいまだによくわからない。というか、たぶん眠いんだろうなぁとは思っても確信は持てなくて、抱っこしていたら寝たから「やっぱり眠かったんだなぁ」という感じです。本当に要求していることは何なのかわからないし、ひょっとすると、赤ちゃんが本当に欲しているものは何かと突き詰めて考えていない。

泣いたらとりあえず抱っこ、とか、とりあえずおっぱい、という感じで、泣き止ませる方に主眼がいって、すずがほんとうにどうしてほしいのか、その意図を汲んでやろうと思っているか。すずの気持ちに寄り添っているか、というと、残念ながらそうではない自分に気づいてはっとしました。

うちは賃貸なので、おむつなし育児は実践できそうにありません。だけど、もっとすずの泣き方や表情やしぐさを観察して、すずの気持ちを汲んでやれる母親になりたいなぁと思いました。そして、おしっこかな?と思ったらトイレでしーこいこいさせてあげたいなぁと思います。あれはかなりわくわくする体験でした。新生児でもするっていうんだから、うーん、思わずもう一人産みたくなったぞ、というくらいです。
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by mizu-kusa | 2010-10-29 22:29 | おむつなし育児

こわがりたろう

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こわがりで、スローペースとくりゃ、そら空の袋持って帰るはめになりますわな。なんだかそんなたろうが妙に愛しく、その場で思わず抱きしめてしまいました。

こわがりは短所であるとは限らない。それはまぁすべての欠点について言えることですが。よく言われるように長所と短所は表裏一体ですから。

たろうは、ついこないだ6歳とちょっとで、ようやくジャングルジムのてっぺんに登れたくらいの恐がりです(これは運動能力の問題でもあるが)。夏休みは毎年田舎の自然に囲まれて過ごすというのに、バッタ一匹よう触れません。

生き物に触れる前のドキドキは私もよくわかる。ドキドキを感じながらも、えいやっ!とそれを乗り越えて触るところに、恐がりさんの虫取りの醍醐味があるのです。ってほんまかいっ。

閑話休題。何でもへっちゃらという人には勇気は必要ないけど、たろうみたいな恐がりさんには小さな勇気がいっぱい必要なのです。ちょっとしたことに、いちいちドキドキし、いちいち勇気を奮い起こす、そして緊張や怖さを乗り越えていく。そういう体験を人より多く経験することになるわけで、それは案外いいことなのかもしれない、と思いました。緊張や怖さを乗り越える練習は、いざというとき、きっと大きな勇気を奮い起こす力 になるんじゃなかろうか、と。

ふむ、反対にこんな風にも考えられるぞ。たろうは将来何か大きな行動力が必要な場面に遭遇すると決まっているのである!(誰が決めたんだ?)そのときのために、今、小さな試練を与えられ、練習を重ねているのである!(うーん。それにしちゃ試練が小さすぎないか?やはり、たいしたことをするわけではないのだな)

(追記;ただの恐がりで我ながらようこんなこと書けるな。こういうしょうもないことを思いついてるあたり、3人育児にも余裕出てきたっちゅ−ことでせうかねぇ。)
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by mizu-kusa | 2010-10-25 09:51 | ほっこり育児

おんぶの効用

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はじめてすーちゃんをおんぶしたとき、その温もりと重さが、そのまま心にずっしりとほの温かく沁みてきました。温もりはそのまま愛しさとして、重さは、今まですーちゃんを放っておいたことに対するすまなさとして。

二人目三人目は手がかからないというけれど、本当にそうなのかな?手をかけていない、手をかけられない状況があるだけで、泣くことも自己主張も一人目と同じくらいやってるんじゃないかしら。一人目の時は赤ん坊の泣き声に敏感だし、泣いてる赤ん坊を抱いたりあやしたりすること以上に優先すべきことがほとんどない状況だったから、よく抱っこもおんぶもしていました。

そして、どこでも誰にでも言われるのが「下の子より上の子をかまってやれ」という言葉。

すーちゃんなんか夕飯前の慌ただしい時間帯、泣いてるのにほったらかされてて、自分で指吸っていつの間にか寝てる。

だけど、それで手がかからないと思ってたなんて、下の子だから放っておかれるのは仕方がないと思ってたなんて。それって、自分の気持ちをラクにしたかっただけじゃないの?私にとって、すーちゃんでたぶん最後の赤ん坊なのに、ちょっと手抜き過ぎだったんじゃない?ごめんね、すーちゃん。

やる気はあるけど体がついてこない、というのがいつもの私のパターンなので、自分も歳だし、セーブしてるところがあった。すーよりたろうやまめをかまってやらなきゃ、という思いはもちろん強かった。特に、まめを、と思ってやってたけど、こないだたろうがぽつりと「すーちゃんになりたい」と漏らしたので、ああ、やっぱりたろうも我慢しているんだ、と思って、たろうとのスキンシップも増やすようにした。

ああ、やばいやばい。がんばりすぎてしまわないように、そう思いながら、抱っこやおんぶしてると全くぐずらないすーが、抱っこやおんぶを重ねるごとにまた愛おしさも増して、そして体はしんどいけどすーの泣き声を聞かないと心がささくれ立たないことも心地よく、、、ああ、だけど肩がこる、腰が痛い。。。

園庭開放につきあって一緒に遊んでやるとたろうやまめも嬉しそうで、また、私自身も秋の外遊びが気持ちよく、、、ああ、だけど帰宅すると軽いめまいを覚えるというこの体力の無さ。。。

だけどやっぱり子供らの温もりを、あっというまに大きくなってしまう、この幼き子らの肌の温もりを、しっかりと私の肌で覚えておきたい。子らが巣立った後も、いつでも鮮やかによみがえるくらいに、しっかりと。。。
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by mizu-kusa | 2010-10-22 22:13 | 母は思った

将来の夢

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夏休みに田舎でカエルと戯れて以来、まめはすっかりカエル好きになりました。
ちなみに夏休み前の七夕では、短冊に「海賊になりたい」と書かされました。そのときたろうは「ゴジラになりたい」と書いていた。。。3歳も5歳も変わらんやないかーっていうかたろう、大きくなり過ぎやろっ!
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by mizu-kusa | 2010-10-18 08:55 | うふふ育児

子犬のすー

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寝返った体勢で私たちを見上げるすーちゃん。耳としっぽが見えるようです。食卓を囲んでいると、自分も仲間に入りたそうなので、抱っこして膝に座らせてあげます。そうするとおとなしく、楽しそうです。さては、すー、自分を人間だと思ってるな。あ、人間だった。

目が合うと喜びます。犬のように全身で嬉しさを表現するので、手足をばたつかせ、その結果、顔から布団に突っ伏してしまいます。何度もそれをするので笑えます。犬を飼ったことないけど、きっとこんな感じなんだろうなぁと思います。
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by mizu-kusa | 2010-10-16 16:13 | ほっこり育児

すーちゃん図鑑

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まあるいほっぺ、ぱんぱんの手足の甲、ぷくぷくのふともも。。。
ああ、すーちゃんの曲線のすべてがシアワセにつながっている。
形状だけではない。そのにほひも、ぬくもりも、やわらかさも、すべてが母にシアワセを運ぶ。
母だけではない。父にも、きょうだいにも、あるいは時に、見ず知らずの人にさへ。
赤ん坊といふ生き物は、ああ、赤ん坊といふ生き物は、なんたる。。。

生後2ヶ月の頃、姉に「高校球児みたい」と言われたすーですが、4ヶ月になって髪もちょっと伸び、ラガーマンみたいになりました。先日、商店街で通りすがりのおばちゃんに「まぁいかにも男の子っていう顔してるね−!」って言われたすーちゃんです。

女です!「貯金箱」見せたろかー?

(夫が沐浴の際に、貯金箱のお金入れるところみたいと言って以来、我が家ですーの大事なとこは「貯金箱」と呼ぶようになりました。夫が湯浴みさせるときは「ちゃりんちゃりーん」と言いながら洗っています。

しかし、男の子はおてぃんてぃん、女の子はみんななんて言ってるのかな〜。
このまま「貯金箱は石けんで洗わなくていいのよ」とか「お母さん、貯金箱がなんだかむずかゆい〜」とか言うようになっていいものか。。。)
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by mizu-kusa | 2010-10-04 22:52 | ほっこり育児